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応仁の乱

 

 

応仁の乱をわかりやすく簡単に解説!
 
この記事を書いた人 一橋大卒 歴史学専攻
京藤 一葉(きょうとういちよう)

元号が「応仁」の時に起こったので「応仁の乱」と呼ばれています。しかし、応仁の元号は3年で「文明」へと改元になりました。そのため、乱が行われた多くの期間が文明年間だったため、昨今では「応仁・文明の乱」と呼ばれることもあります。

応仁の乱の背景には、管領家である「畠山氏」と「斯波氏」の2家で起こった家督争いがあります。 畠山家の家督を譲られた「畠山義就(はたけやま よしひろ)」に対し、反義就を掲げる勢力が一族内から「畠山政長(はたけやまながまさ)」を擁立しました。こうして畠山家が二派に分裂。続いて斯波氏では、当主の斯波義健が跡継ぎの無いまま亡くなったため、一族の「斯波義敏(しばよしとし)」と「斯波義廉(しばよしかど)」による家督争いが勃発しました。

こうして、室町幕府内で最も力を持っていた管領家が相次いで内乱を起こし、情勢は一気に不安定となりますが、さらに将軍家内でのお家騒動が重なります。当時の将軍であった「足利義政」と「日野富子」夫妻は子に恵まれず、将軍後継者として義政の弟「足利義視(あしかがよしみ)」を指名していました。

しかし、間もなく富子が懐妊、義政と富子は子供(後の「足利義尚(あしかがよしひさ)」)を授かりました。日野富子にしてみれば、義尚は自らのお腹を痛めて生んだ子です。当然、義尚を溺愛しています。しかし、夫の義政がすでに将軍後継者に義視を指名しています。このような状況の中、富子が義尚を将軍後継者に据えようと目論んだことで、情勢はさらに混乱していくことになるのです。

なんとかして義尚を次期将軍にしたい富子は、義尚の後見役とされる四職家の「山名宗全」を頼り、義視と対立。一方、管領家の細川家当主「細川勝元」が義視を支持。この将軍家内の家督争いに、畠山家と斯波家の内紛が絡み合い、幕府内は二派に分裂しました。さらには、全国の守護大名家たちも、どちらかに味方する形で続々と参戦。

こうして細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)をそれぞれの大将格とし対立が激化。何度か小競り合いを行った後、応仁元年(1467年)5月に全面的な対決に突入します。やがて東軍16万人、西軍11万人とい言われる大軍勢となり、約11年にも及ぶ内戦「応仁の乱」の火蓋が切って落とされました。

 

応仁元年(1467年):開戦

応仁の乱勃発の数か月前、畠山氏を中心とした大きな争いが発生しました。畠山義就(よしひろ)と畠山政長家督を巡り、京都市街地にある上御霊神社において武力衝突したのです。この戦いは「御霊合戦(ごりょうがっせん)」と呼ばれ、山名宗全斯波義廉らの協力を得た義就が勝利しました。

御霊合戦にて義就が勝利したことで、山名宗全の西軍有利を危惧した細川勝元が、東軍の巻き返しを図り東西両軍の大乱へと発展していきます。こうして応仁元年(1467年)5月26日の未明、細川勢が山名勢を攻撃し、応仁の乱の火蓋が切って落とされました。

将軍 足利義政の対応
8代将軍 足利義政の後継者を巡り、義視と義尚が争ったことが応仁の乱の背景に大きく関係していることはすでに述べました。ところで、当の義政はどちらを支持していたのでしょうか?乱が勃発した段階では明確な意思は示しておらず、停戦を命じるなど将軍らしいことをしています。しかし、戦闘開始から約1ヶ月後には義視と細川勝元の東軍を支持しています。

これにより、西軍の義尚を支持していた妻 日野富子から猛反発を食らいますが、義政は立場を変えることはありませんでした。将軍義政の後ろ盾を得た東軍は一気に勢いづき、西軍を圧倒。西軍が壊滅したと見た義政は諸将に降伏を迫りました。勧告に従い東軍に寝返る者、戦線離脱する者も現れ、乱は東軍勝利で終わるかに思われました。

大内政弘の上洛
戦況は東軍優勢で進みますが、ことはそう簡単には進みませんでした。中国地方の大半と北九州の一部(周防・長門豊前筑前と、安芸・石見の一部)に広大な領地を持つ守護大名 大内政弘が約3万の大軍を引き連れ上洛。西軍に味方したことで、形勢は一気にひっくり返ります。

大内氏の上洛で劣勢となった東軍の細川勝元は、上皇天皇を将軍御所に移しました。「天皇上皇、そして将軍義政を擁する東軍こそが正当である」と世間に示すためです。しかし、息を吹き返した西軍の勢いは衰えず、東軍を圧倒していました。

足利義視の戦線離脱と相国寺の戦い
開戦当初は優勢を保っていたものの、大内氏の援軍によって劣勢となった東軍。この事態に足利義視が動揺します。義視は、義政が裏で西軍に味方しているのではないかと疑い始めたのです。「このまま細川勝元の味方をしていては、義政との関係が悪化し自分は将軍になれないのではないか?」という被害妄想により戦線から離脱。義視を支持していた義政は愕然とし、逆に東軍に対し不審を抱き始め「次期将軍は義尚が相応しいのではないか?」と心が傾いていきます。こうして義政は政治への関心を無くしていき、乱の最中でも我関せずの態度を取り、遊興にふけるようになっていきました。

そして、応仁元年(1467年)10月、応仁の乱の中で最も激しい戦いとなった「相国寺の戦い(しょうこくじのたたかい)」が勃発します。優勢だった西軍が一気に決着を付けんと攻めかかりましたが、東軍はなんとか持ちこたえ完全決着には至りませんでした。また、東西両軍ともに甚大な被害を出し、以降の戦いでは大きな武力衝突が起こらないまま、約10年に渡り戦が続いて行きます。

応仁2年(1468年):足利義視の動き
戦線離脱し伊勢で情勢を見守っていた義視に対し、将軍 義政は上洛を要請します。義視は要請に応じ、東軍の陣中へ戻ってきました。そして義視は「日野勝光ら佞臣(主君にこびへつらう家来のこと)を排除してほしい」と義政に訴えます。「日野勝光」は日野富子の兄で、西軍の有力者の一人でした。

しかし、義視の訴えは退けられ「伊勢貞親」という人物を政務に復帰させました。伊勢貞親は、将軍後継者争いが勃発した際に義尚に味方し、義視の暗殺を義政に進言した人物です。この目論見が露見したため、一時京都から逃れていたのですが義政の意向により復帰することになったのです。伊勢貞親はもともと義政の右腕的存在であり、応仁の乱終結させたい義政の意向による復帰だったとも言われています。

足利義視が西軍へ
一方、義視からしてみれば、日野勝光の排除を退けられたうえ、かつて自分を殺害しようとしていた伊勢貞親が復帰するとなれば、当然納得いくはずがありません。この状況に危機感を抱いた義視は庶民の姿に変装し京都を脱出、比叡山に逃げ込みました。それから程なくして義視は敵であるはずの西軍 斯波義廉の陣に入ります。

こうして西軍には「足利義視」と「足利義尚」の両将軍候補が並立する形となり、なおかつ義視が将軍に祀り上げられ「西幕府」が樹立されました。この時、現将軍の足利義政は一応東軍を支持していたため、京都に幕府が2つあり、将軍が2人いるという異常事態が発生。こうして応仁の乱はますます混迷を極めて行くことになるのです。

文明4年(1472年):両軍総大将の隠居
相国寺の戦い以降、大きな武力衝突は起こらず膠着状態となった東西両軍。参戦していた各守護大名たちの思惑が錯綜し、己の利権のために寝返ったり寝返られたりえを繰り返しながらダラダラと月日だけが流れていきました。こうして両軍ともに厭戦気分が蔓延しはじめます。

このような中、東西両軍の総大将である細川勝元山名宗全が、相次いで隠居するという事態が起こりました。勝元は剃髪し、孫にあたる「聡明丸(後の細川政元)」に家督を譲りました。一方の宗全は、突然切腹しようとするなど「狐に憑りつかれたのではないか?」と噂されるほどの錯乱状態となり、孫の山名政豊家督を譲り隠居しました。なお、勝元の剃髪は乱を和睦に導くための宗全へのメッセージだったのではないかという説もあります。


ともかくも、東西両軍の総大将が隠居しました。しかし、西軍の畠山義就大内政弘、東軍の赤松政則朝倉孝景と言った乱の中心人物たちは、自分たちの利害のためになおも戦い続けるのです。

文明5年(1473年):山名宗全細川勝元が死去
細川勝元山名宗全が隠居した翌年の文明5年(1473年)、両者が相次いで世を去りました。3月には宗全が70歳で他界、それから約2ヶ月後の5月には44歳で細川勝元が他界。また、翌年の文明6年(1474年)には、足利義政が実子の義尚へ将軍職を譲っています。とはいえ、義尚は9歳だったので実権は義政が握ったままでした。

こうして、乱の大きな発端であった将軍の後継者は義尚となりました。しかし、守護大名たちの利害が複雑に絡み合った結果、将軍後継者が決まり、なおかつ勝元と宗全の死を以てしても乱が治まることはありませんでした。もはや戦い始めた当初の理由など忘れ、個々の恨みつらみから成る利権争いのためだけの戦乱となっていたのです。

文明9年(1477年):応仁の乱の終焉

義視とともに美濃へ下った後の10代将軍「足利義稙足利義材)」
厭戦気分が漂う中、ようやく乱が終息していきます。乱の発端に深く関与していた斯波義廉は、文明5年(1475年)に尾張国に下国。さらに文明7年(1477年)には、主戦派の中心人物だった大内政弘が幕府の懐柔により領国の周防国へと帰国。そして、もう一人の主戦派 畠山義就は、大内政弘の帰国により孤立化することを危惧し、河内国に下国。足利義視は息子の義材(よしき、後の10代将軍足利義植)とともに美濃国へと退きました。 こうして西幕府は解体となり、約11年に渡り続いた応仁の乱終結しました。

 

 

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5分でわかる明応の政変!戦国時代の始まり⁉目的や流れをわかりやすく解説 | ホンシェルジュ (honcierge.jp)

 

5分でわかる応仁の乱!原因と結果についてわかりやすく解説! | ホンシェルジュ (honcierge.jp)

 

"殺された大宜都比売から生まれたものは?
     "
" 頭から生まれたもの
     蚕"
" 目から生まれたもの
     稲"
" 耳から生まれたもの
     粟"
" 下腹部から生まれたもの
     麦"
" 尻から生まれたもの
     大豆"
"生まれたものを回収した神は?
     神産巣日神"
"オオゲツヒメという名称の意味は?
     大いなる食物の女神"
"
     "
"大国主神
     "
"大国主須佐之男が命じたことは?
     兄と戦い滅ぼして国づくりを完成させる"
"大国主が兄を滅ぼした後でどこに君臨したか
     出雲"
"大国主の正妻は誰か?
     須勢理"
"大国主が大事にしたのは誰か?
     八上比売(やかみひめ)"
"大国主は十日のうちだれと何日過ごしたか
     須勢理は3日、八上比売とは7日"
"八上比売は子供を産んで子供をどうしたか
     木の又に子供を置いて実家に帰った"
"八上比売の実家はどこか
     稲羽"
"大国主は国作りを完成させるためどうしたか
     各地と絆を強くした、その地の姫と結ばれた"
"出雲からまずどこに行ったか?
     高志の国(越国)こしのくに"
"その国のかしこく美しい人は誰か?
     沼河比売(ぬなかわひめ)"
"どうアプローチしたか
     山鳥がうるさく鳴いている、鳴きやませてみたいものだ"
"どう返答したか
     鳥を殺すきか。やめて下さい、鳥は今は私の鳥。でもいずれあなたの鳥になるでしょう。"
"
     私もかよわい小鳥と言って、下手にでないようにしつつ怒らせないよう返答した"
"大国主はどううたったか
     八千矛の神の命は 八島国 妻まきかねて 遠遠し 高志の国に 賢し女を 有りと聞かして"
"
     やちほこのかみのみこと(大国主の別名) やしまくに つま とほとし さかしめを"
"どう返答したか
     八千矛の神の命 萎え草の 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ・・・"
"
     ぬえぐさの  めにしあれば わがこころ うらすのとりぞ"
"
     私は、なえた草のような弱い女ですから、私の心はまるで"
"
     波の上のとりのように揺れ動いて"
"
     "
"海からやってきた小さい人は誰か
     少名昆古那神(すくなびこなのがみ)"
"その人と口をきくために誰を頼ったか
     崩彦(くえびこ)に聞いた (くえびこ=案山子)"
"その人はどんな人だと言ったか
     どこにも出かけないけど、この世のすべてを見通している人"
"誰の御子か
     神産巣日神(かむむすひのかみ)"
"どこから生まれたか
     神産巣日神の手の指の間から生まれた"
"その人は国造りとはどんなことだと言ったか
     そこに住む人々の未来を築くこと"
"何が必要かと言ったか1つ
     効率の良い農業を広める"
"そのために何の知識が必要か
     土木・天文"
"次に何が必要だと言ったか
     人々の健康を守る"
"そのために何の知識が必要か
     薬草や医学の知識"
"国造りの土台とは何か
     人々の幸福のため知識を広め智慧を伝える"
"様々なことを伝えた後どうしたか
     常世国へ行った"
"彼がいなくなって誰と国造りを行ったか
     大物主神(おおものぬしのかみ)"
"その人が出した条件とは何か
     大物主神を大和の三輪山(みわやま)に祭ること"
"そこは別名なんというか
     御諸山(みものやま=三輪山)"
"
     "
"中国(なかつくに)とはどこか
     地上の国"
"中国がにぎわってきたとき、天照大神はどうしたか
     自分の名代を地上へつかわした"
"まず誰をつかわしたか
     天之菩卑能命(あめのほひのみこと)"
"その人は誰と誰の何によって生まれたか
     天照大神須佐之男命の誓約"
"誓約とは何か
     誓約(うけい)とは神に誓うことによって成否や吉凶を占うこと"
"具体的には何から生まれたか
     天照の髪飾りの勾玉(まがたま)から生まれた"
"彼に何を命じたか
     中国へ降りて天に逆らう神がいたら説得すること"
"どこに降り立ったか
     出雲"
"何故帰ってこなかったか
     大国主の接待を受けた"
"何年戻ってこなかったか
     3年"
"次に行かせたのは誰か
     天若日子(あめわかひこ)"
"誰の息子か
     天津国玉神(あまつくにたまのかみ)"
"地上に降りてどうなったか
     下照比売(したでるひめ)と結婚した、大国主の娘"
"何年戻ってこなかったか
     8年"
"次に何を行かせたか
     鳴女(なきめ)=雉(きじ)"
"何を命じたか
     天若日子に真意を問う"
"地上に降りて何を伝えたか
     高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と天照大御神(あまてらすおおみかみ)の伝言"
"雉をどうしたか
     天若日子は巫女に聞いて不吉の証と言われたので矢で射て殺した"
"その矢はどうなったか
     天に届いた。地上に投げ返した。悪を懲らしめるための矢なら天若日子に当たらない"
"天若日子と間違えられたのは誰か
     阿遅鉏高日子根(あじすきたかひこね)"
"その人はどうしたか
     死んだ人に間違われて穢れが取り付いてしまわぬよう喪屋ごと打ち砕いた"
"とうとう誰と誰を遣わしたか
     建御雷之男神(たけみかずちのかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)"
"誰の使い出来たか
     高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と天照大御神(あまてらすおおみかみ)"
"使いは何と言ったか
     中国の領主は大国主神だが統率者は天国(あまつくに)の天照大御神"
"
     中国の統治を天国に神に任せるべき"
"大国主命は何と答えたか
     私にはこたえられない、すでに私の領地を継ぐべき息子がいるのでかられに話をつけてくれ"
"大国主命の息子はまず誰か
     八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)"
"次の息子は誰か
     建御名方(たけみなかた)"
"彼はどこまで逃げて諦めたか
     諏訪湖(洲羽海)"
"大国主命は何を認めて欲しいと願ったか
     出雲に高天原まで届く高い宮殿を建てることを天国の神々に認めてもらうこと"
"出雲にあった宮殿の高さはどれくらいか
     48m"
"
     "
"中国を治める神として最初に行かせようとした神は?
     天之忍穂耳命(あめのおしほのみこと)"
"その神はどこから生まれたか
     天照大御神須佐之男命の剣から生み出した"
"実際に行かせることになった神は
     邇邇芸命(ににぎのみこと)"
"その神に天照大御神は何を渡したか
     鏡と勾玉(まがたま)と草なぎの剣"
"葦原中国へ先導したのは誰か
     猿田昆古神(さるたびこのかみ)"
"鏡はどこにお祭りしたか
     伊勢の五十鈴の宮"
"誰がお祭りしたか
     邇邇芸命と思金神"
"穀物を守る力を持った神は何か
     豊宇気昆売神(とようけびめのかみ)"
"その神はどこに降ったか
     伊勢の度相(わたらい)"
"五十鈴の宮とは何か
     伊勢の皇大神宮(内宮)の別称"
"玉造を伝える集団とは何か
     玉祖連(たまのおやのむらじ)"
"それは何を統率する氏族か
     玉作部(たまつくりべ)"
"誰が祖か
     玉祖命(たまのおやのみこと)"
"祭祀(さいし)にかかわる二組は?
     中臣連(なかとみのむらじ)と忌部首(いみべのおびと)"
"祭祀(さいし)にかかわる祖二人は?
     天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)"
"天宇受売命は何の祖となったか
     猿田昆古神の名をとった猿女君(さるめのきみ)の祖 あめのうずめのみこと"
"その氏族は何の役目を担ったか
     祭礼の場で舞楽(ぶがく)を演じる役目"
"天照の手を取り石屋戸から引き出したのは誰か
     手力男神(たぢからおのかみ)"
"彼はどこに落ち着いたか
     佐那々の県(さななのあがた)三重県多気町(たきまち)"
"天照を誘う鏡を作ったのは誰か
     伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)"
"何の祖となったか
     作鏡連合(かがみつくりのむらじ)"
"邇邇芸命が降り立ったのはどこか
     筑紫の日向の高千穂"
"伊耶那岐(いざなき)の神が禊を行ったのはどこか
     日向"
"様々な神が地上に降り立ったことを何というか
     天孫降臨"
"
     "
"邇邇芸命が降り立ち最初に出会った美しい人は?
     木花之佐久夜(このはなのさくや)"
"誰の娘か?
     大山津見神(おおやまつみのかみ)"
"誰が生んだ何の神か?
     大山津見神伊邪那岐伊邪那美が国作りで生んだ山の神"
"女性に名前を聞くのはどういう意味か
     求婚のしるし、答えると受け入れたことになる"
"その娘の姉はなんという名か
     石長比売(いわながひめ)"
"姉をどうしたか
     不細工だったので実家に返した"
"大山津見神は姉をどういう意味でさしあげたか
     石のように永遠の命を授ける"
"大山津見神は妹をどういう意味でさしあげたか
     花が咲きほこる栄光を授ける"
"姉を返した意味合いを大山津見神はどう説明したか
     邇邇芸命は、「永遠の命」をその見かけだけで拒否された"
"邇邇芸命はどうなったか
     天神でありながら人間と同じく、いつか死を迎える運命となった"
"木花之佐久夜が妊娠の報告をして邇邇芸命はどう言ったか
     そなたとは一夜しか共に過ごしてないのに俺の子を身ごもるなんて嘘だろう"
"木花之佐久夜はどう証明したか
     天神の子なら何があっても無事に生まれるはずとのことで、"
"
     出入り口の無い産屋を建て内側から土壁で塞ぎ火を放った"
"生まれた子の名前(3人)
     火照命(ほてりのみこと)火須勢理命(ほすせりのみこと)火遠理命(ほおりのみこと)"
"そのうちの一人は何と呼ばれたか
     火照命は、海で漁をすることから、「海幸彦(うみさちひこ)」と呼ばれた"
"そのうちの一人は何と呼ばれたか
     火遠理命は、山で狩りをすることから「山幸彦(やまさちひこ)」と呼ばれた"
"
     "
"兄弟はどちらが先に何をもちかけてきたか
     山幸彦が海幸彦にお互いの道具を貸しっこした"
"山幸彦はどうしてしまったか
     海幸彦の道具だった釣り針を失くしてしまった"
"山幸彦はどう償おうとしたか
     自分の剣をつぶして釣り針を500,1000、作ったが許してくれなかった"
"誰が山幸彦を助けてくれたか
     塩椎神(しおつちのかみ)"
"何の神様か
     潮の流れを司る神様"
"山幸彦はどうしたか
     潮の流れに任せて小さな船に乗った"
"どこにたどり着いたか
     綿津見神(わたつみのかみ)の宮殿が見えてそこに上陸した"
"そこでどうしたか
     桂の木があるので上り、その木の下の井戸で姫の侍女が水を汲みに来るのを待った"
"そこで誰と出会ったか
     綿津見神の娘、豊玉昆売(とよたまびめ)に会った "
"釣り針は誰が持っていたか
     のどに変なものが刺さった魚がいた"
"釣り針をどう返したか
     後ろ手で渡した、(呪いのしぐさ)"
"何をもらったか
     綿津見神から、珠(たま)をもらった"
"それはそれぞれどういった力を持っていたか
     塩盈珠(しおみつたま)は満潮にする、塩乾珠(しおふるたま)は干潮にする"
"山幸彦はどうなったか
     兄の海幸彦を負かして兄が子々孫々山幸彦に仕えると言った"
"
     "
"豊玉昆売は身ごもっていた。何を作って産んだか。
     鵜の羽で産屋(うぶや)を造って産んだ"
"山幸彦に何をお願いしたか
     産むまで姿を見ないで"
"豊玉昆売はどの世界の人で出産の時どうなるか
     海の世界の女で出産の時は本来の姿(フカ?)に戻る"
"豊玉昆売が産んだ子をなんというか
     鵜葺草葺不合命(うかやふきあえずのみこと)"
"その正式名をなんというか
     天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひたかひこ なぎさたけうかや ふきあえずのみこと)"
"その子は誰に育てられたか
     豊玉昆売の妹、玉依昆売(たまよりびめ)"
"豊玉昆売が山幸彦を思い読んだ歌のはじめ
     赤玉は緒さへ光れど 白玉の 君が装いし 貴くありけり"
"
     (あかたまは おさへ ひかれど しらたまの きみがよそひし たふとくありけり)"
"どんな意味か
     琥珀は、それに通した紐までも赤く照らしますが、真珠のようなあなたの姿は何よりも貴いものです"
"山幸彦が返した歌
     沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世の悉に"
"
     (おきつとり かもどくしまに わがゐねし いもはわすれじ よのことごとに)"
"どんな意味か
     鴨が寄る遠い遠い島で 私が寝所を共にした愛する妻を 私がこの世にある限り忘れない"
"鵜葺草葺不合命は誰と結婚したか
     自分を育ててくれた、玉依昆売"
"玉依昆売はまず誰を産んだか
     五瀬命(いつせのみこと)"
"次に産んだ3人の名前
     稲氷命(いなひのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)"
"末の王子の別の3つの名
     若御毛沼命は、豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)、神倭伊波礼昆古命(かむやまといわれびこのみこと)"
"邇邇芸命からの3代をなんというか
     日向三代(ひむかさんだい)"
"
     "
"玉依昆売が産んだ次男は誰でどこに行ったか
     稲氷命は母の故郷へ行った"
"玉依昆売が産んだ三男は誰でどこに行ったか
     御毛沼命常世の国(とこよのくに)へ行った"
"残った長男と末弟の旅をなんというか
     神武東征"
"なぜそれを始めたか
     中国(なかつくに)地上の国では天国(あまつくに)の神々を敬わない国が増えてきているため"
"神倭伊波礼昆古命の妻はどこのだれか
     阿多(今の鹿児島)の隼人(はやと)一族の阿比良比売(あひらびめ)"
"二人の間の子供をなんというか
     多芸志美美命(たぎしみみのみこと)、岐須美美命(きすみみのみこと)"
"神倭伊波礼昆古命たちはどこへ移動したか5か所
     日向→宇沙→筑紫→阿岐→吉備"
"大阪の近くのどこで海の案内に出会ったか
     速吸門(はやすいのと)明石海峡"
"その先に何があったか
     浪速之渡(なみはやのわたり)"
"その先の大阪湾の岸をなんというか
     白肩津(しらかたつ)"
"大阪は誰の国だったか
     登美能那賀須泥昆古(とみのながすねびこ)"
"ここで誰がどうなるか
     五瀬命が矢で撃たれる"
"何を間違えていたか
     天神の子なのに太陽に向かって攻め進んでいたこと"
"兄はどこに葬られたか
     紀国(きのくに)"
"弟はどこから上陸して内陸を目指すか
     熊野"
"上陸したときにどうなったか
     妖気にやられた"
"誰に助けられたか
     熊野の高倉下(たかくらじ)"
"彼は何を渡したか(誰に託されたか)
     天照大御神から刀を託された"
"天神御子(あまつかみみこ)を導いた使いとは
     八咫烏(やたがらす)"
"神武東征の過程で歌われた歌は何と呼ばれるか
     久米歌(くめうた)"
"今でも演じられるものは
     久米舞(くめまい)"
"通常どんな姿で行われるか
     平安時代の装束で舞われる"
"
     "
"伊波礼昆古(いわれびこ)は吉野からどこに入ろうとしたか
     宇陀(うだ)"
"八咫烏を最初追い返したのは誰か
     兄宇迦斯(えうかし)"
"彼は何を仕掛けたか
     床板を踏んだとたん、重しが落ちてくる"
"その仕掛けを伊波礼昆古に伝えたのは誰か
     弟宇迦斯(おとうかし)"
"兄の敵は誰か
     登美能那賀須泥昆古(とみのながすねびこ)"
"その敵を倒して従えた人はだれか(神)
     邇芸速日命(にぎはやひのみこと)"
"伊波礼昆古は日向に妻子がいるのに何故正妃を迎えたか
     真の平定に正妃選びが大切で、天国と中国のどちらにも縁があるのが国の支配者にふさわしい正妃"
"それはどこの娘か
     三島(摂津国大阪)の豪族の娘"
"その娘はなんという名前か
     勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)"
"その娘はどこで何が飛んできたか
     用を足そうと厠へ入ったところ下から赤い矢が飛んできた"
"矢は何だったのか
     大物主神が変身した姿"
"その娘と結ばれた間に生まれた娘は
     伊須気余理比売(いすけよりひめ)"
"宮はどこに設けられたか
     畝火(うねび)の白檮原(かしはら)今の橿原市畝傍町(かしはらしうねびまち)"
"
     "
"おくり名とは何か
     諡号(しごう)と言う、漢風諡号は2文字の、神武、綏靖・・・という称号で奈良時代に新しく付け加えられた"
"神倭伊波礼昆古のおくり名は
     始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)"
"神倭伊波礼昆古と伊須気余理比売との間の子は?
     日子八井命(ひこやいのみこと)、神八井耳命(かむやいみみのみこと)、神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)"
"神倭伊波礼昆古が亡くなった時誰が来たか
     元の奥さんとの間の息子、多芸志美美命がきて伊須気余理比売を妻としようとする"
"誰が天皇として即位したか
     神沼河耳命 第二代天皇"
"彼は何と改名したか
     建沼河耳命(たけぬなかわみみのみこと)"
"「建」とはどういう意味か
     勇ましく強い"
"第二代天皇のおくり名は
     綏靖(すいぜい)天皇"
"第九代天皇
     開化天皇"
"第三代から第九代天皇までを何と呼ぶか
     欠史八代(けっしはちだい)"
"第十代天皇
     崇神天皇(すじんてんのう)"
"第十代天皇諡号
     初国知御真木天皇(はつくにしらししみまきのすめらみこと)"
"
     "
"
     "
"崇神天皇は別の名をなんというか
     御真木入日子印恵命(みまきいりびこいにえのみこと)"
"彼は何に困っていたか
     原因不明の疫病が広がりをみせていた"
"どうしたか
     必死で祈祷を続けさせていたが自分自身で神の声を聞くべく身を清めてひたすらまった"
"誰が表れて何を命じたか
     大物主神が表れて意富多多泥古(おおたたねこ)を探せと命じた"
"どこに住んでいたか
     河内の美努村(みののむら)"
"その人のどの代と関係があったか
     意富多多泥古の父の父の父のそのまた母"
"その人は何という名か
     活玉依昆売(いくたまよりびめ)"
"何があったか
     その女性の寝室に夜な夜な美しい男が表れて結ばれて子供ができた"
"どうやってその男を探したか
     男の衣のすそに麻糸を通した針を通した"
"糸はどうなっていたか
     麻糸を3輪だけ残して糸は鍵穴から外へむかっていた"
"どこに繋がっていたか
     三輪山の社(みわやまのやしろ)"
"崇神天皇は何を命じたか
     三輪山の大物主の神を国として大切に祭り意富多多泥古を祭主とした"
"疫病は収まったが続いて何がおこったか
     高志(こし、北陸)や東海地方で反朝廷勢力がおこった"
"それをどうしたか
     叔父や兄弟をさしむけて平定した"
"それは何を生み出したか
     天皇の親族の中での勢力争い"
"崇神天皇はいつ亡くなったか
     戊寅師走(つちのえとらしわす)"
"西暦何年か
     258年"
"
     "
"第十一代天皇の名を2つ
     伊玖米入日子伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)垂仁天皇(すいにんてんのう)"
"その天皇の宮
     師木(しき、奈良県桜井)玉垣宮(たまがきのみや)"
"そのときの皇后の名
     沙本昆売(さぼびめ)"
"その皇后の兄の名
     沙本昆古(さぼびこ)"
"兄は何を妹に命じたか
     兄の方が大事ではないか、夫を殺せ自分が天皇になる"
"天皇はどうしたか
     沙本昆売に殺されそうになり問いただし兄の謀反を知って兄を殺す"
"兄はどうしたか
     住まいを頑丈にし、天皇と戦った"
"皇后はどうしたか
     兄を説得しようと兄の館にいったが説得できず子供は天皇に渡した"
"生まれた子の名前
     本牟智和気(ほむちわけ)"
"どういう意味か
     火の中で生まれた子(火は、古代、ホ と言った)"
"子供を渡す時どうなったか
     子供を受け取った天皇の使者が沙本昆売の着物を引っ張って連れていこうとした"
"なぜ着物は切れたか
     あらかじめ引っ張られることを想定して酒に漬けて弱くなるようにしていた"
"他にも何をしていたか
     髪をひっぱられてもいいようにカツラをかぶり髪は短く切っていた"
"誰を変わりの妻にと言ったか
     沙本昆売は兄の館に残り死んでしまう、比婆須比売(ひばすひめ)と弟比売(おとひめ)"
"誰の娘か
     旦波比古(たにはのひこ)多多須美知宇斯王(たたすみちのうしのみこ)"
"
     "
"天皇に差し出したもう二人は
     歌凝比売命(うたこりひめのみこと)と、円野比売命(まとのひめのみこと)"
"二人はどうしたか
     不細工だったので元に戻され恥ずかしい事として自殺した"
"首を吊ろうとした地
     懸木(さがりき)"
"今はなんという地か
     京都の相楽郡(そうらくぐん)の相楽(さがらか)今は木津川市で駅は山田川(隣は奈良県)"
"川に身を投げた地
     堕国(おちくに)"
"今はなんという地か
     京都の乙訓郡(おとくにぐん)弟国(おとくに)今は大崎町"
"亡き后の子はどうなったか
     一言もしゃべれない"
"声を出そうとしたのはいつか
     白鳥が飛んでるのを観たとき"
"鳥を追いかけた人は何というか
     大鶙(おおたか)"
"その人は何国まわったか
     10国"
"どこからどこか1~2
     ①木国(きのくに)(紀伊和歌山県)②針間国(はりまのくに)(播磨、兵庫県南西部)"
"どこからどこか3~4
     ③稲羽国(いなばのくに)(因幡鳥取県東部)④旦波国(たんばのくに)(丹波、京都と兵庫)"
"どこからどこか5~6
     ⑤多遅魔国(たぢまのくに)(但馬、兵庫県北部)⑥淡海国(おうみのくに)近江(滋賀県)"
"どこからどこか7~8
     ⑦三野国(みののくに、美濃、岐阜県南部)⑧尾張国(おわりのくに、愛知県西部)"
"どこからどこか9~10
     ⑨科野国(しなののくに、信濃、長野県)⑩高志国(こしのくに、越、福井、石川、富山、新潟)"
"これをきっかけに定められたことは
     鳥を捕る役目の一族を鳥取部(ととりべ)と定められた"
"
     鳥を飼う役目の一族を鳥甘部(とりかいべ)と定められた"
"鳥を捕まえて王子は話せたか
     話せなかった"
"天皇はどう考えたか
     王子を残して死ねないので永遠の命が欲しいと思った"
"実現するために欲したものは
     常世の国の非時香木実(ときじくのかくのこのみ)ときじくは、時期に関係のない様"
"何を指したか
     橘(たちばな、柑橘類の総称)の実"
"誰に取ることを頼んだか
     多遅魔毛理(たぢまもり)"
"その人はどこからきた人か
     新羅から来た"
"
     多遅魔毛理は実を持って帰るが天皇は亡くなっていた"
"天皇はどんな夢を観るか
     本牟智和気の口がきけないのは、ある人の怒り。その人の宮をきちんと整えろと言われた"
"その神は何だったか
     出雲の大国主神"
"天皇はどうしたか
     本牟智和気に出雲に行かせて丁寧に祈り、宮が老朽化していたら立派に建て替えると約束する"
"声をいつ発したか
     青葉を積んだ山のようなものを見て大国主の神に捧げる聖なるものであると言った時"
"出雲で王子は誰と夜を過ごしたか
     肥長比売(ひながひめ)"
"それは何だったか
     朝に蛇であることが分かる"
"跡継ぎの名前2つ
     大帯日子淤斯呂和気(おおたらしひこおしろわけ)、景行天皇(けいこうてんのう)"
"なぜ王子は天皇になれなかったか
     父は謀反の母を持つ子を天皇に出来なかった"
"
     "
"
     "
"倭建命の物語
     "
"大帯日子淤斯呂和気は各地を平定するためにどうしたか
     各地の有力者の娘を妻として娶ることをした"
"何人の子がいたか
     80人"
"誰にどこの娘をもらい受けるよう命じたか
     大碓命(おおうすのみこと)に三野国(みののくに、美濃)の大根王(おおねのみこ)の娘"
"その娘をなんというか
     兄比売(えひめ)弟比売(おとひめ)"
"その娘をどうしたか
     大碓命天皇に嫁ぐ予定の二人を自分の妻とし、身代わりを天皇に差し向けた"
"大碓命の態度はどうなり、天皇はどうしたか
     朝食に出てこず、天皇小碓命(おうすのみこと)に大碓命によく言ってきかせるよう伝えた"
"小碓命はどうしたか
     父の命令に背く大碓命を切り刻んで殺して捨てた"
"天皇小碓命のその行動をどう感じたか
     いくら何でも殺すことはない、自分の行動に疑問を持たない小碓を遠ざけたいと感じた"
"天皇小碓命に何を命じたか
     西の辺境の国で勢力をのばしている熊曾建(くまそたける)兄弟を討ち取る遠征にいかせた"
"小碓は何歳だったか
     15歳"
"小碓は熊曾建を倒すためどうしたか
     女装して誘惑した"
"熊曾建の兄弟から小碓はなんと言われたか
     「建」(たける)は「強い男」という意味、小碓に「倭の建、ヤマトタケル」と名乗れと言った"
"小碓の髪型は何と記されているか
     額のところで、ひさごの花の形に結ってある"
"大帯日子淤斯呂和気の身長はどれくらいか
     一丈二寸(3メートル強)になるが古代中国(周)の寸法では190cmになる"
"大碓命小碓命の母はどこのだれか
     針間(播磨の国)の伊那昆能大郎女(いなびのおおいらつめ)"
"その母は何天皇の息子の娘か
     第七代天皇 孝霊天皇(こうれい)、大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)"
"その息子はなんという人か
     若日子建吉備津日子命(わかひこ たけきびつ ひこのみこと)"
"
     "
"出雲国で倭建はどうしたか
     出雲建と剣の腕比べをしようとお互いの剣を交換して偽の剣を渡して殺した"
"何故そうしたか
     倭よりも権威があるかのようにふるまっていたから"
"倭建と出雲建はどこで身を清めたか
     斐伊川"
"
     "
"出雲建を討ち取ったことを天皇はどう感じたか
     出雲建を討ち取ったのはやり過ぎ"
"倭建が戻って天皇はどう感じたか
     本人は良い働きをしたつもりなので、その行動を否定したくはない"
"倭建は父の対応をどう感じたか
     折角手柄を立てて帰ってきたのに喜んでいない、なんだかよそよそしい"
"父はさらに倭建に何を命じたか
     東国征伐"
"おばは建に何を渡したか
     剣と袋"
"剣は最初なんと言われていてのちになんと呼ばれたか
     天叢雲剣 のちに、草薙剣"
"それには何が入っていたか
     袋には火打石"
"おばの名前
     倭比売(やまとひめ)"
"おばの役割
     伊勢にある天照大御神の宮で神に仕える役目を務めていた"
"
     "
"倭建の東国征伐
     "
"東国への旅たちの前に立ち寄った場所は?そこで出会った娘は?
     尾張へ立ち寄り、美夜受比売(みやずひめ)と出会って婚姻を約束する"
"出会った場所は分からないが旅の途中で出会って后にした人は?
     弟橘比売(おとたちばな)"
"その人はどうしたか、なぜそうしたか
     倭建を独占したく、ついていった"
"東の国を平定する倭建に対して父はどうしたか
     戻って欲しくなく、もっと進め、すべての国を平定させろ、と伝える"
"最初丁寧におもてなししたいと倭建を誘ったのはどこの国か
     相模の国"
"どう伝えて倭建を一人で誘いだしたか
     野の真ん中の大沼に住む神が建だけに告げたいと伝えた"
"どうなったか
     野に火を放たれて出れなくなった"
"まず建はどうしたか
     周囲の草を短く刈って草をなぎ払った"
"次にどうしたか
     袋から火打石を取り出し、火をおこし刈らなかった草に火をつけた"
"次にどうしたか
     向い火にして火の向きを変えて脱出できた"
"建を騙した人をどうしたか、そしてその地は何になったか
     ことごとく殺し火で焼き尽くし、このあたりは焼津(焼遣やきつ)と呼ばれた"
"
     "
"建の乗った船は一時どうなったか
     海峡の神がお怒りで海が荒れ、船が回転した"
"弟橘はどうしたか
     身を海に捧げて許しを請う"
"なぜそう思ったか
     倭建を独り占めできるのは旅の間だけ、建に命を捧げた女として一生記憶に残るから"
"船が遭難しそうになったのはどのあたりと言われているか
     東京湾浦賀水道あたり"
"倭建は浜で弟橘の何を拾ったか
     櫛(くし)"
"どうやって弟橘は海に身をなげたか
     畳の敷物を8枚、皮の敷物を8枚、絹布の敷物を8枚重ね、その上に座り"
"
     海に沈んでいった"
"入水する際に弟橘が詠んだ歌
     さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも"
"
     さねさし さがむのおのに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも"
"歌の意味
     相模の野に燃える火、その火の中に立って私を気遣って"
"
     よんでくださったあなた"
"弟橘の櫛が流れ着いたとされるのはどこか
     千葉県、神奈川県"
"また、何と何がどこに流れ着いたか
     袖が流れ着いて「袖ヶ浦」遺体が流れて「君不去きみさらず→木更津」"
"
     "
"倭建命の帰還
     "
"倭建は足柄山でどうしたか
     白い鹿に化けた神様にニンニクを投げて倒した"
"弟橘を偲んで倭建は何と言って、何の元となったか
     我が妻よ(吾妻はや)と言ったので東方の地域を東の国と呼ぶようになった"
"何故倭建は東国征伐をやめたか
     これ以上東方に目立った勢力は無いと聞いたので"
"倭建は帰還の際に誰を訪ねて何を託すか
     尾張の美夜受比売に草薙剣を託す"
"倭建を苦しめたのはどこで何に会ったときか
     伊吹山でイノシシに会った"
"何が起こったか
     雹が降ってきた"
"足を痛めてどうなってしまったか、何の元となったか
     足が腫れて三重に折りたたまれたようになり三重県となった"
"死ぬ間際に倭建が詠んだ歌
     倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる(やまごもれる) 倭しうるはし"
"
     大和は国で一番美しいところ 青々として山々がまるで垣のように取り囲む"
"
     大和は美しい"
"
     命の全けむ(またけむ)人は 畳こも 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)"
"
     が葉を髻華(うず)に挿せ その子"
"
     命を全うできる人は 平群の山の樫(若さと生命を表す常緑樹)の葉を"
"
     髪飾りにして生きていけるように"
"
     愛(は)しけやし 我家(わきへ)の方よ 雲居(くもい)立ち来も(くも)"
"
     懐かしい我家の方から雲がわいてくる"
"
     嬢子(おとめ)の 床(とこ)のべに わが置きし 剣(つるぎ)の太刀(たち) その太刀はや"
"
     乙女(美夜受比売)の床のかたわらに私が置いてきた剣、その太刀よどうしたのだろうか"
"倭建の墓から何がどうなったか
     白鳥が墓から出て飛び立った"
"倭建は何歳で死んだか
     31歳"
"三種の神器とは?
     「天照大御神の鏡」「勾玉」「草薙剣」"
"それぞれどこに収められているか
     天照大御神の鏡は伊勢神宮"
"
     勾玉は皇居"
"
     草薙剣熱田神宮"
"
     "
"倭建命の母は誰か
     針間(はりま)の伊那昆能大郎女(いなびのおおいらつめ))"
"景行天皇崩御天皇位を継いだのは誰か
     若帯日子命(わかたらしひこのみこと)"
"漢風諡号は何か
     成務天皇(せいむ)"
"父と母は誰か
     父は景行天皇、母は八坂之入日売(やさかのいりびめ)"
"次の天皇は誰か
     帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)"
"漢風諡号は何か
     仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)"
"その人は誰の子か
     倭建命の子"
"その人の皇后(おきさき)を何というか
     息長帯昆売(おきながたらしびめ)"
"またの名を何というか
     神功皇后(じんぐうこうごう)"
"誰が大臣として仕えたか
     建内宿禰大臣(たけのうちすくねおおおみ)"
"誰の孫にあたるか
     大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)"
"漢風諡号は何か
     第八代孝元天皇(こうげんてんのう)"
"皇后が持っていた能力とは何か
     神の声を聞くことができる"
"天皇はどこで国を治めていたか
     筑紫の訶志比宮(かしびのみや)今の福岡"
"どこを討とうとしていたか
     九州南部にいる熊曾"
"天皇はいつ亡くなったか
     皇后が神を呼んで天皇が琴を弾いている間"
"神のお告げは何だったか
     西へ行け、金銀財宝あふれる豊かな国がある、私が"
"
     ついているからそなたのものにしてやろう"
"皇后の乗った船に何が起こったか
     魚たちが船を支えて全速力で運んでくれた"
"西には何があったか
     新羅(しらぎ)"
"そこのどこにどうやって到達したか
     船は大波に支えられて新羅に上陸、国の中心部まで迫った"
"そこの人は何と言ったか
     倭に従い天皇(すめらみこと)の御馬飼(みまか)いとして仕える"
"御馬甘とは何か
     ≒御馬飼、御馬甘(みまかい)とは朝廷の馬を管理するところ"
"当時の朝鮮にあった国は何か
     新羅百済任那高句麗"
"百済に何を定めたか
     渡屯家(わたりのみやけ)渡=外地の、屯家=御料地"
"任那には何がおかれたか
     倭の軍事拠点である日本府"
"西に行ったとき皇后はどうなっていたか
     子供を身ごもっていた"
"どうしたか
     お腹に石を巻いてしずめて生まれないようにした"
"皇后から生まれた子の名は
     品陀和気命(ほむだわけのみこと)"
"漢風諡号は何か
     応神天皇(おうじん)"
"御子の腹違いの兄たちはどうしたか
     御子を亡き者にしようとした"
"誰と誰か
     忍熊王(おしくまのみこ)と香坂王(かぐさかのみこ)"
"どうやって守ったか
     御子を死んだことにして喪舟を装った"
"誰が何に倒されたか
     油断した香坂王が突進してきた大猪に倒された"
"船を襲ったがどうなったか
     船の後ろに軍勢がいると思わせて喪舟に兵士を隠していた"
"皇后は戦う意思が無い証としてどうしたか
     皇后自身が亡くなったことにして兵士の弓の弦を切った"
"そのあとどうしたか
     敵も弦を切ったのを見て、まげに隠しておいた弦を張った"
"建内宿禰はどの天皇に仕えて何歳まで生きたか
     十二代から十六代、280歳とか360歳まで生きた"
"
     "
"品陀和気命応神天皇)の息子と娘の数、妻の数
     息子は11人、娘は15人、妻は10人"
"3人の後継候補
     大山守命(おおやまもりのみこと)"
"
     大雀命(おほさざきのみこと)"
"
     宇遅能和紀郎子(うぢのわきいらつこ)"
"天皇は3人の後継候補をどうしたか
     大山守命は山海の政(まつりごと、部民(べのたみ)を治める)"
"
     大雀命は食国(おすくに)の政(まつりごと、天下の政治)を執る(とる)"
"
     宇遅能和紀郎子を後継ぎとした"
"大雀命は誰を好きになってしまったか
     父の天皇の新しい妻となる日向国(ひむかのくに)の髪長比売(かみながひめ)"
"宇遅能和紀郎子が注目した学問の書は何か
     「論語」"
"宇遅能和紀郎子はどうなったか
     兄(大雀命)が天皇を継ぐべきだと悩み即位せぬまま亡くなる"
"誰が天皇になったか
     大雀命(おほさざきのみこと)"
"漢風諡号
     仁徳天皇"
"中巻の本編とは関係の無い2つのエピソードとは?
     天之日矛(あめのひほこ)と、兄弟の神の話"
"天之日矛の舞台はどこで誰がいたか
     新羅国に貧しい男がいた"
"その人はどこでどんな人に会ったか
     沼のほとりで昼寝をしている女性"
"その人はどうなったか
     虹のような光が女性にさして女は美しい玉を生み、男に譲った"
"それはどうなったか
     男は王子である天之日矛に悪人扱いされて許しを請うため玉を渡した"
"その玉はどうなったか
     美しい女に変身したので天之日矛は妻にした"
"その女の名は
     阿加流比売(あかるひめ)"
"女はどうしたか
     妻は毎日おいしいものを作り夫に優しくした"
"夫はどうなったか
     優しさに慣れ過ぎて亭主関白になってしまった"
"女はどうしたか
     怒って祖国(日本)に帰った"
"天之日矛はどうしたか
     妻を追ったが海峡の神に邪魔されてしまう"
"天之日矛はどうしたか
     妻はいないが、多遅魔国(たぢまのくに)兵庫県北部に上陸して時期を待った"
"その後どうなったか
     しかしその地で新しい妻を娶り子や孫が増えていった"
"その子孫2人
     多遅魔毛理(たぢまもり)本牟智和気御子の章で非時香木実を探してきた人"
"
     もう一人が新羅遠征をした息長帯比売(神功皇后)"
"
     神功皇后の祖先は新羅の人だったと言える"
"兄弟の神はそれぞれ何というか
     兄が秋山之下氷壮夫(あきやまのしたひおとこ)"
"
     弟が春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)"
"兄は誰に求婚するか
     伊豆志袁登売神(いずしおとめのかみ)に求婚するが断られる"
"兄は弟にその女性に求婚してうまくいったらどうすると言ったか
     身長の高さのカメいっぱいの酒と山海の珍味をやる"
"母は弟に何を授けたか
     藤のつるで衣と弓矢をつくって渡した"
"それはどうなったか
     女のもとへ行く途中その衣と弓矢はいっせいに藤の花を咲かせた"
"女はどうしたか
     伊豆志袁登売神は藤の花を見て持って帰ろうと手に取った"
"どうなったか
     藤の花から、花の精のような霞壮夫が現れて二人は結ばれ子が生まれた"
"兄はどうしたか
     弟が上手くいったのに約束の品を渡さなかった"
"母はどうしたか
     兄を懲らしめた"
"どうやって?
     石と塩をまぜて竹の葉に包み、竹かごに入れてかまどの上に置いて、"
"
     竹の葉のようにしおれてしまえ、塩のようにひからびてしまえ、"
"
     石が沈むように衰えてしまえ、と呪った。兄はそのようになった。"
"兄はどうしたか
     8年経って母に許しをこいた"
"母はどうしたか
     かまどの上から竹かごを取り除いた(兄の健康は回復した)"
"
     "
"
     "
"民の家から煙が出ていないと言ったのは誰か
     仁徳天皇(大雀命(おほさざきのみこと))"
"なぜ煙が出ていなかったのか
     不作続きで作物を税として納めると自分たちの食べる分が無く調理する材料が無い"
"天皇はどうしたか
     3年間納税義務を免じた"
"天皇の正妃は誰か
     石之比売(いわのひめ)"
"何年後にどうなったか
     3年後に民のかまどから煙が立つようになった"
"天皇の欠点は何か
     女好き"
"皇后が陸路で国に帰らせた女性はどこのだれか
     吉備国(きびのくに)の黒日売(くろひめ)"
"天皇はどうしたか
     地方視察と称して黒日売に会いにいった"
"女性好きが祟って皇后はどうしたか
     家出した"
"皇后が家出したときの相手の女性はどんな人でなんという名か
     義理の妹の八田若郎女(やたのわかいらつめ)"
"皇后は国の何か
     皇后は国の母"
"皇后はどこにどうしたか
     百済人の奴理能美(ぬりのみ)の家に滞(とど)まった"
"天皇はどうしたか
     皇后を迎えに行ってくれと皇后の兄を使者として出した"
"皇后はどうしたか
     自分からは戻れないと言った"
"どうやって二人を合わせたか
     皇后は家出ではなく奴理能美の家の珍しい生き物を見に行かれただけとした"
"それはなにか
     蚕(這っていた虫が鼓に変身し最後は鳥のように飛ぶ百済からもたらした珍しい虫)"
"天皇はその後どうしたか
     勢力固めのため異母妹の女鳥王(めどりみこ)を迎えようとした"
"誰に託したか
     大雀命の異母弟の速総別王(はやぶさわけのみこ)"
"女はどうしたか
     速総別をずっと好きで妻になりたいと言った"
"なぜそういったか
     皇后さまの嫉妬をおそれて八田若郎女を遠ざけた人の妻になりたくない"
"さらになんと言ったか
     隼は雀より強いはず、勇気を出せば皇位を奪える"
"二人はどうしたか
     天皇に反乱をおこした"
"二人はどうなったか
     多勢に無勢で二人とも討ち果たされた"
"反乱した女性に仕え天皇に回った人は誰か
     大楯連(おおたてのむらじ)"
"皇后は何に怒ったか
     女鳥がつけていた腕輪が大楯連の妻がつけていたこと"
"何と言ったか
     皇后は大楯連に、「その日まで主人であった女鳥の遺体を穢す非人間的」"
"皇后はどうしたか
     大楯連を処刑した"
"仁徳天皇陵はどこにあるか
     堺市大仙古墳 "
"面積はどれくらいか
     たて840m、横654mで面積は世界最大"
"天皇はどこに宮をおいたか
     難波の高津宮"
"今のどのあたりか
     大阪市中央区法円坂あたり"
"後に何天皇が都をおいたか
     孝徳天皇聖武天皇"
"皇后は誰の孫か
     建内宿禰(たけのうちすくね)の孫"
"その人は誰の孫か
     第八代孝元天皇の孫が建内宿禰"
"万葉集では皇后は何となっているか
     磐姫皇后(いわのひめのおおきさき)"
"その歌は
     君が行き 日(け)長くなりぬ 山たづね・・・迎へか行かむ 待ちにか待たむ"
"どんな意味か
     あなたが去って長い間 待ってなんかいない 自分から迎えに行くわよ"
"似た歌を歌った人は誰か
     軽大郎女(かるのおおいらつめ)"

大宜都比売(おおげつひめ)が可愛そう

古事記上巻の比較的最初の方に出てくる女神がいる。

その名を、大宜都比売(オオゲツヒメ)という。須佐之男命が高天原で乱暴を働き怒られて追放されたときに、詫びとして何か供え物を差し出せと言われていた。

須佐之男命は大宜都比売に「何かお供え物を出してくれ」とお願いする。大宜都比売はそれに応えて、お供え物を出してくれるのだが、出てくる場所が、口から、鼻から、はたまたお尻からなのである。

須佐之男命は大宜都比売がお尻からお供え物を出していることを咎め、「自分の排泄物じゃないか、そんな汚いものをよくも!」と言って大宜都比売を殺してしまうのである。

いや確かに普通に考えるとお供え物を出している場所が場所だけに汚いと思ってしまう。出しているのが神様なのだから我々が出すものとは違うのだけれど。須佐之男命の感覚は分からないでもない。

でもだからといって自分がお供え物を出してくれと頼んで、それがいくら汚いところから出したとしても、殺すのはひどいのではないか。もちろん大宜都比売は神様だから殺すといっても、ワレワレが死ぬのとは違うのかもしれない。

そのあと須佐之男命は腹が減ったと言っている。なんとも身勝手な人なんじゃないかとも感じてしまった。

ちなみに、伊邪那美神が亡くなるとき、苦しみのあまり吐いた物から幾多もの神が生まれた。大宜都比売だけじゃないのである。

大宜都比売が亡くなると、殺された大宜都比売の頭からは蚕、目からは稲、耳からは粟、下腹部から麦、尻から大豆、さまざまな作物が生まれた。こらが地上の作物の種となった。それらは、神産巣日神(かみむずびのかみ)が回収したそうだ。

大宜都比売は亡くなってしまったけど、そこから生まれたもので私たちは生きている。

2022/1/26

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考えてみると神様って必ずしも女性のお腹から産まれるわけではないですね。天照大御神伊邪那岐の神の左目から生まれているし、須佐之男命は鼻から生まれている。

見かけだけで女性を判断してはいけない

「見かけだけで女性を判断してはいけない」

その昔、見かけだけで女性を判断した神様は神が持つ永遠の命を手放してしまった・・

天照大御神の命によって地上に降り立った神様は[邇邇芸命(ににぎ の みこと)]という。[ににぎ]は浜辺で美しい娘と出会い、お互い一目惚れして二人は結ばれる。娘の名前は、[木花之佐久夜(このはな の さくや)]という。(名前がいいですね)

娘の父親は、山の神様で、娘を送り出す時に、娘の姉も一緒に[ににぎ]に嫁がせる。姉の名を[石長比売(いわなが ひめ)]という。

[このはなの さくや]は[ににぎ]が一目ぼれしたくらいで、美しい女性だった。ところが、姉の[いわなが ひめ]は、はっきり言って不細工(里中満智子さんの漫画「古事記」での[いわなが ひめ]あまりに不細工で笑ってしまった)

[ににぎ]は[いわなが ひめ]を実家に返してしまう。確かに[ににぎ]が望んだのは[このはなの さくや]であって、[いわなが ひめ]ではない。しかし、このことで[ににぎ]は永遠の命を手放すことになってしまう。[このはなの さくや]は「花が咲きほこる栄光」をもたらす。一方、[いわなが ひめ]は「石のように永遠の命」をもたらす。その永遠の命を「見かけだけで拒否」してしまったのだ。(えー、そうだったの?)

いやはや、確かに女性を見かけだけで判断してはいけないが、[ににぎ]は確かに[いわなが ひめ]を望んでいたわけではなかった。さらに後から言われたのだし、リベンジが出来ないのはかわいそう。ともあれ、[ににぎ]以降、神の子であっても死を迎えることになる。

ちなみに、[いわなが ひめ]が実家に帰り、怒る父親に対し、「こんなに酷くては受け入れられなくて当然です」と言うシーンはちょっと[いわなが ひめ]が可哀そうだった。これに似たエピソードが古事記ではもう一回出てくる。そちらは本当に可哀そうな結末になる。その後の[いわなが ひめ]はどうなったか分からないが、新たな良い人が見つかっていればと思う。

この世の始まり

「この世の始まり」で、私は宇宙の始まりである「ビッグバン」を思い浮かべる。まあ、事は100億年以上前の話。科学的なようでいて、実際どうだったか誰もわからない。

そして、さらに「始まり」の前はどうだったのか?それ自体矛盾した疑問が、どうしても浮かんできてしまう。「空間のゆらぎがビッグバンを引き起こした」という回答があるのだが、「空間のゆらぎ」ってよく考えるとわけが分からない。私はここで考える事をやめる。

里中満智子さんの漫画古典文学「古事記」を読んでみた。古事記の冒頭は「この世の始まり」だ。この世は「油が漂うようなトロトロした固まり」があって、天と地も分かれていなかったという。

私はビッグバン前の「空間のゆらぎ」を思い起こした。

科学ではここで、ビッグバンが起こるのだが、古事記では、天となる高天原(たかのまはら)に、まず [天之御中主神(あめの みなかぬし のかみ)] が生まれた、とある。「神が生まれる」って「これがビッグバンなのでは?」と思ってしまった。爆発というイメージではないけれど。でも、ビッグバンに似たインパクトが[あめの みなかぬし] の登場にあるんじゃないか。

ビッグバンによって空間が生まれた。その空間の中のチリが集まり星となり惑星となっていく。[あめの みなかぬし]の後には、[高御産巣日神(たかみ むすび のかみ]が生まれ、[神産巣日神(かむ むすび のかみ)]が生まれる。[たかみ むすび]と[かむ むすび]は、この後、古事記に時折出てきて「世界」を形作っていく。

ビッグバンと[あめの みなかぬし]。科学と神話は、「始まり」において似ている。ように感じる。全然違うのかもしれないが、私のレベルでは、もうどちらもさほど変わらない。

*読みの間のスペースは筆者判断

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メモ

・漫画での表現、生まれる、は古文風には(原文は漢文)「成りませる」となっている

・この世の始まりについては中国の「三五暦紀」「唯南子(ゆいなんし?)」から取り合わせたのではないか「古事記伝を読む 1-36」

天之御中主神古事記で一番最初に生まれる神なのだが、天之御中主神がビッグバンを(天地を創造した)とは書いてないので、そこは注意が必要。

・[あめのみなかぬし]、[たかみ むすび]、[かむ むすび]を合わせて造化三神(ぞうかさんしん)というそうだ。

里中満智子さんの漫画古典文学「古事記」を読んで

里中満智子さんの漫画古典文学「古事記」を読んでみた。

私は自身が受けた教育の影響と思うが「古事記は太平洋戦争に日本人を導いた天皇制に結びつく」悪いもので、作り話であり読む意味が無いと思っていた。

しかし、世界にはギリシアなど神話を大切にしている国がある。キリスト教などには創世記がある。古事記が強制されたのは戦前の一時期だけではないか。何故古事記は駄目なんだろう、って少しずつ思うようになった。

いったん先入観念を取り払って古事記を読んでみようと思ったものの、その古文漢文的なものが、とてもとっつきにくさがあってしばらく避けていた。

しかしあるとき本屋で漫画で読む「古事記」を見つけ、漫画なら読めるかもしれないと思い、里中満智子さんの「古事記」を買って読んでみた。

里中満智子さんの漫画は登場人物の描き方がよい。綺麗な女性、カッコ良い男性、不細工な人など時に笑ってしまうところもある。一話一話ごとに里中満智子さんの客観的な解説が入るところも共感が持ててよい。

読んでみて分かったのだが、古事記因幡の白兎や八岐大蛇、山幸彦と海幸彦など、日本の昔話として何度も読み親しんだ話が多く載っていることが分かった。ちゃんと昔話として受け継がれていたんだな、という思いと、散らばっていたそれらの話がようやく一つの物語となった。

里中満智子さんの「古事記」を読んで、または類書にも目を通して一つずつのエピソードを伝えていきたいと思った。そのためにひとまずこの場を借りてまとめていきたい。

 

古事記」の良さを知ることができた、里中満智子さんに感謝します。